沖縄県-波照間島(八重山郡竹富町)
長い歴史の中で、珊瑚や海鳥の糞の堆積によって農業に適した豊かな土壌を育んだ波照間島。
さとうきびが生い茂り、いち早く春が訪れる、日本最南端の有人島、沖縄県の波照間島におじゃましました。
島の周囲約15km、人口約600人。この小さな島でまず気がついたのは長寿者の方々の笑顔でした。島では多くの長寿者が元気で活躍しています。民宿を営む勝連文雄(かつれんふみお)さん(91歳)もそのひとり。電気、道路などの整備に尽力し島に貢献してきた方です。「魚が豊富な珊瑚礁は海の畑とも言われたさ。陸にはハブも害虫もおらず、野菜もよく育ったよ。お金がなくても充分生活できた。でも好き嫌いせず、島のものをありがたく食べなさいと親に教わったさ」。
島の約半分がさとうきび畑という波照間島。港に程近い場所に、波照間製糖工場があります。敷地内には、今日収穫されたというさとうきびが山積みされていました。工場では、それを新鮮なうちに粉砕し、汁をしぼります。丁寧に不純物を取り除いた後、ゆっくりと煮詰めると、しぼり汁は次第にとろみと風味を増していき、最後には、カリッと硬くて味わい深い黒糖になるのです。
12〜3月の収穫時期には24時間操業。「良質な黒糖は畑でできる」と、さとうきびの鮮度と質にこだわり、栽培や収穫に至るまで徹底した品質管理が行われています。その原動力となるのは「ゆい(ゆいまーる)」という共同体。農家の方は個々に畑を持ちながら、収穫などは、10世帯ほどの「ゆい」で作業を支え合います。人の丈ほどのさとうきびを機械で倒し、カマで茎から葉を落とす作業。男衆は豪快に。腰の曲がったおばあは椅子に腰掛けて。雨の日も風の日も、朝8時から夕方5時まで収穫作業は続きます。
私どもは、この「ゆい」をもっと知りたくて、波照間島歴史研究の第一人者・玉城功一(たましろこういち)さんを訪ねました。家を建てる、畑仕事をする、神事を行なう。波照間では、こうした大仕事を「ゆい」で行ってきました。「昔は草刈りや収穫の度に御神酒(おみき)がふるまわれた。「ゆい」はそれほど神聖でした」。「神に選ばれた民」と民話で伝えられるほど、信心深く誠実な波照間の方々。台風など民の力ではどうすることもできない環境下で生き抜く術を、「ゆい」という共同体でしっかりと培ってきたのです。玉城さんも子供の頃から「ゆい」の大切な一員でした。皆で歌うユンタ(農業歌)、作業の合間に長老から聞く民話や体験談が、子供たちの胸に、島と先祖を大事にする心を育んだと言います。
「波照間の春(うるずん)といえば、デイゴの真っ赤な花と、木でさえずるウグイスたち」。若夏(ばがなつ)、そして長い夏を経て、秋のことを現地では白夏(しらんつ)と呼びます。これは盛夏の気配が薄まり、ススキの穂に似たさとうきびの白い花が島を埋め尽くすことから。その花が咲き終わると畑では収穫の準備が始まります。
そんな島の料理はどんなものなのでしょう。島で25年も民宿を営む慶田本(けだもと)ミヨさんを訪ねました。黒糖のコクは島料理に欠かせないというミヨさん。もてなしていただいた料理には波照間の黒糖がふんだんに使われていました。「船酔いしたお客さんには、黒糖の粒をさんぴん茶(ジャスミン茶)に溶かして出すのさ。ひと眠りすれば元気いっぱいよ」。「沖縄にはね、てぃーふぁ料理という手でこねる料理があるのよ。家のおかあは家族のことを思いながら一所懸命こねるのさ」。ミヨさんの手料理からは、波照間島で出会った方々の温もりが伝わってくるようでした。
この島を支えてきた「ゆい」の絆。いち早い日本の春の風景は、その「ゆい」の収穫作業から始まっていました。






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